今日は、妹のお誕生日でした。妹夫婦は近所に住んでいます。数年前は埼玉に住んでいたので、軽く1時間以上かかっていましたが、今では自転車でほんの2,3分の距離で本当に引っ越しして、こちらに来てくれたことに感謝です。とても安心です。
数日前から、母に「もうすぐ⚪︎⚪︎⚪︎のお誕生日だよ〜」と、言うと、「わー、忘れていたよ、そっかよかったね」とか言っていました。もちろん、もう妹がお誕生日とか、わからないと思うのですが、それでも、家族としては、何度もそう話しかけるわけです。
今日も妹が昼間来てくれていて、母のこと色々とケアしてくれていたのですが、
そういうことも、わたしが帰ってきたときには、すっかり忘れているわけですし、
なんか、少し前まではとても、悲しく思っていました。なんでも忘れてきてることを。もちろん、今だって、母に、いろいろなこと思い出して欲しいし、当時の話を今こそ、聞いてみたいと、そう、思うことたくさんあります。でも母はぜーんぶ、忘れてしまっているので、しょうがないですね。
とにかく、母は認知症になってしまって、今を生きる母となっているので、わたしも母と一緒に今を生きることが大切だなぁと思いはじめています。
今日は妹の誕生日でした、母をいたわる、愛おしい気持ちがいつも以上に出てしまい、ついつい、ふかふかの母の手をぎゅっとしたら、いつも、言われるのですが、「痛いから、あっちいって」と、すました感じで言われました。でも、わたしが「こんなおばさんの娘だけど、家の中では甘えていい?」と聞くと、「いいよ」って言ってくれます。
「しょうがないもんね」と言って、少し嬉しそうにしてくれているので本当に嬉しくって、また、ぎゅっうと母の肉厚な手を掴むと、また「痛いっ」って言われて、それの繰り返し、そんな時間が幸せです。
母が誕生日を忘れてしまっても、わたしも妹も、母に感謝の気持ちが日増しに強くなり、産んでくれたこと、母の娘でよかったと心から思えています。この言葉を認知症になる前の母に伝えたかった、わたし。でも、きっと今でも、母の目をみれば、そんな認知症とか、忘れちゃってることとか関係なくて、母は感謝を愛と平和な人になっているので、私たち娘もそうなったことを理解してくれていると思うわけです。
いつも、どんなときも、頑張れるし、なんか、魂レベルでつながっているなぁと心から思えるようになりました。母のおかけです。感謝です。今日はとくに特別にそう思える日でした。ありがとうございます。